副院長 八木下琢インタビュー
副院長で、院長の弟である八木下琢(やぎしたたく)先生。
経歴を見ると南大東島に行っていたことが?!興味津々です。
そのあたりのお話も深堀しました!
目次
- 松戸生まれ松戸育ちです!
- 油絵が得意&ガンプラ好きです
- 大学時代、○○と同級生でした
- 歯医者さんになってから
- 1南大東島時代
- 2猪苗代→つくば時代
- 「説明が分かりやすい」と言われます
- 子供と一緒に剣道を習ってます
- 患者さんへメッセージ

松戸生まれ松戸育ちです!

出身はどちらですか?
千葉県松戸市です。根木内小学校出身です!

琢先生

どんな子供でした?
とりあえず外で遊んで、常に野球やっていました。
小金原中央公園が自分にとってのホームで、小学校は野球チームに入っていました。

琢先生

ポジションはどこですか?
サードですね。
中学高校の時はバスケをやっていました。

琢先生

スラムダンクが流行っていた頃ですか?
はい、バッチリその世代です!
一番バスケ部が人気ある時代で、部員も多かったですね。

琢先生
油絵が得意&ガンプラ好きです


どうして歯科医師に?
プラモデルが大好きなんですよ。
一番得意なのは、美術で油絵をやっていたんです。

琢先生

油絵?!
小学校の時にアトリエにずっと通っていて・・・母は美術の先生で油絵をやっていまして。
図画工作/作ることが大好きで、それを活かせて且つ人のためになる仕事がやりたいと思って。
自分の手先の器用さを発揮できる医療系の仕事に就きたいなと思ったので、歯科医師がいいかなと。

琢先生

確かに、歯のかぶせ物などは美的センスが要りますよね。
ちなみに、プラモデルはどんなものを作っていたんですか?
ガンダム世代ですね。
いまだに好きなんです、ガンダムのマグカップが売っていたら買っちゃいます。(笑)
院長である兄もガンダム好きで・・・兄の趣味と僕の趣味は一緒なので共有したりして。
ガンダムのファースト世代が大好きで、ジオングが大好きで、ジオングのリアルグレイドという高いプラモデルがあるんですけど、夏休みに自分の息子と一緒に作りました。
息子もプラモデルを作るのが初めてで・・・息子はガンダムを知らないんですけれど「ジオング」は覚えました。(笑)
2人揃って説明書を見ながら一緒に作って。

琢先生

ジオングの第一世代って、足がないやつでしたっけ?
子どもに「ジオングはいいやつなの?悪いやつなの?」と説明を求められるんですが、悪い奴じゃないんだよ・・・なぜそうなったのかを返すのが難しい・・・シャアにもアムロにもストーリーがあるから、悪と善とかないんだよと・・・そこのシーンだけのYouTube流して、これを今から作るんだよ、と。(笑)
で、話を戻すと・・・自分が口内炎が出来やすかったんですね。
当時行っていた歯医者さんも優しい先生だったので、歯科を目指しました。
自分の得意なことが活かせるし、皆の役に立ちますし。

琢先生

得意を活かしつつ、役にも立つ、と。
親はプラモデルもいっぱい作らせてくれたし、何よりも油絵のアトリエに行っていたのが自分の今の一番の財産になっています。
歯の3次元的な詰め物を作るとか、歯並びを見た時の美的感覚はパッと見て分かる・・・「ここはもうちょっとこうしたらもっとキレイになるな」など解剖学的な歯の形が見えてきます。
アトリエに行っていたことで、解剖学的な形態を再現するのにすごく役に立っています。
小さい時に養った美的感覚が今いかされて、親に感謝ですね。
治療の内容や歯の形などをスケッチで描いて説明するのは、すごい得意です。

琢先生

「手書き」ってすごい分かりやすいんですよね。
ちなみに、何年くらいアトリエに通ってたのですか?
7~8年ですね。
当時は、嫌々やっていたところもありましたが。
小学校5~6年の頃にゴッホのひまわりを題材にして描いた絵を母が気に入って、実家の玄関に飾ってありますね・・・一応自分の名前も書いてありますね。

琢先生
大学時代、○○と同級生でした

見てみたいです!郡山での学生生活(奥羽大学)はどうでしたか?
とにかく「楽しかった」の一言です、仲間がよかったですね。
奥羽大学は全国から学生が来ているので、自宅から通っている学生がほぼいなくて、みんなが大学の周り・・・車で2~3分の範囲内に住んでいるんですよ。
常にみんなでいるという感じで、授業もご飯も寝る直前までみんなでいるのが6年間続くって感じですね。
同じ目標を持った友人達と過ごしたというのは財産で、今でも付き合いが続いていますね。

琢先生

楽しそうですね!!
歯医者さんになってから
1. 南大東島時代

南大東島の歯科診療所に行ってたそうですが。
はい、行ってました。
昼休みに「笑っていいとも!」を見ながらご飯食べて、泳いで、昼寝をして、午後の診療という感じで。
前職の茨城の医療法人から派遣されて、1人で10か月行っていました。

琢先生

1人!?
あと歯科技工士さんも1人。
技工士も同じ医療法人の技工士だったので、一緒に行動したり。

琢先生

南大東島について調べたら、楽しくて旅した気分になってなっちゃっいました。(笑)
観光で来る人はなかなかいないです、延々とサトウキビ畑なんです。

琢先生

森山良子、ですね。(笑)
サトウキビの収穫の出稼ぎで来る方が多い場所で、島の人口は1000人くらい。
1日だいたい患者さんが10人くればいいなというところです。
島の人達の飲み会で交流を持つと、「あ、今度の院長はこんな感じだよ」と結構皆さん来てくれるんですよ。
人とのつながりや会話などのコミュニケーション能力を養って戻ると、同医療法人の分院長になれる。(笑)
島の運動会があるんですけれど、その後の最初に行った飲み会の席で島の人たちの中に入っていくと、みんな歯医者に来てくれるんです。
島では歯医者の事を「歯屋(はや)」っていうんですけど、「今度、歯屋の先生のところ行くさ~」と親しくなるとそんな感じになります。
一番面白かったのが野球ですね。
南大東島には、野球のチームが4チームあったんです。
サトウキビの会社ごとでチームを組んで・・・僕は歯科医院なので役場のチームだったんです。
みんなサトウキビ畑をやっているので筋肉隆々で且つ本気なんですよ、エラーすると大変。(笑)
でも本気なので楽しかったですよ。
あと「沖縄相撲」のというのがあるんですよ。
南大東島のサトウキビ畑を一周する駅伝もあります。
全部で8区くらいあり、それもガチなんです。
同じ区の中で10人揃えて走りますが、そういうのに参加すると「先生、もうちょっと頑張れたよね~」などの会話も生まれます。

琢先生

先生、野球をやっていてよかったですね。
ツーベースヒットを打つと「先生、野球やっていたの?」「はい、小学校の時だけですけど」となる。
そこでコミュニケーションを学べたんです。
その後、南大東島に行く同じ医療法人だった後輩に「ヤギさん、島の人達とはどうしてたんですか?」と聞かれると「自分で飯を作るな。色々な飲み屋を転々とするんだ。そうすると、そこに島の人=患者さんがいる。島の人は見たことない人はすぐに分かるから、そこで話しかけてきたりするから」と。
クラブもひとつあって、そこのお姉ちゃんも治療に来てくれました。
気に入ってもらえると「この先生がいるうちにすべて治療を終わらせよう」と足繫く通ってきてくれたり。

琢先生


島の中に溶け込んでいたんですね。
南大東島に行く前、同じ医療法人の医院での1年目は結構厳しくて・・・「とりあえず」とか「一応」という言葉は使っちゃダメな体育会系でした。
入って1年目は夜中1時くらいまで抜去歯や人工歯で練習したり、毎週木曜に厳しい院長先生の勉強会があるんです。
パントモ(歯科用パノラマレントゲン写真)出して「こういった患者さんが来たらどう説明して、どういう治療をする?」と聞かれ、患者さんが納得できる説明の練習をしました。
必ず毎週木曜にあって、水曜の夜は気が重い。(笑)
でもあらゆる症例に対して、しっかり説明をする能力をすごい鍛えられました。
家に帰って、お風呂の中で院長に言われた言葉を思い出して復唱して・・・それが身についています。

琢先生

1年目の鬼の研修は、財産ですね。
1年弱で経った時「お前らもう、勉強会いいだろう」と。

琢先生

免許皆伝ですね。
よく患者さんに「分かりやすい説明だ」と言っていただけるんですけど、それはそこで得られたかなと。
隣の診察台で話を聞いていた患者さんに「安心できそうだから、今度はその先生に診てもらいんだけど」と言われたこともありましたね。
全て、院長の勉強会のおかげです。

琢先生
2. 猪苗代→つくば時代

歯科治療での説明って、すごい大事ですよね。
理解出来ないままの治療は、患者的には辛すぎます。
分からないことは不安に直結するので、遠慮なく聞いてくださいね。
南大東島から帰ってきた後は、猪苗代(あしはら歯科医院)で分院長をしました。
会津福島と郡山に挟まれている自然豊かでものすごいい所でした。
そこで3年やって、最後本部(桜ケ丘歯科センター)に戻ってきたんです。
ここでも説明のスキルが鍛えられ・・・。
病院のあったつくばは、研究学園都市なんですよ。
国土地理院とか、産総研(産業技術総合研究所)とか、筑波大のお医者さんとか教授とか、そういう人たちが患者さんで来るんです。

琢先生

「説明が分かりやすい」と言われます

患者さんが、学者さんみたいな方が多い?
学者や研究者が多いんで、質問がすごいんです。(汗)
そういう患者さんにいかに納得していただくかの説明力、しかもダラダラ言っちゃダメでパパっと端的に分かりやすく説明する力を養うことが出来ました。

琢先生

どこに行っても修行ですね。(笑)
「ここで患者さんからご指名がいただければ、開業しても大丈夫だよ」というアドバイスまでもらいました。

琢先生

では、満を持して開業ということで!
おかげさまで!
卒業後に勤めた歯科医院は、全部同じ医療法人だったんですね。
そこで様々な地域に飛んでコミュニケーションして対応力をつける、最後に研究者たち相手に説明できるスキルを身に着けて仕上げ、という感じでしょうか。
前職場の院長は結婚式のスピーチもしてくれた、つくばでは有名人です。
僕は院長の背中を追っていた、追いつけなくても近づくことは出来るかなと。
なによりも模範だったんですよね。

琢先生


歯科医師としての師匠ですね。
僕が院長先生すごいなと思ったのは、お昼間近で急患が来た場合、勤務医の先生に診させるのではなく院長自らが診ていた時です。
僕らは昼休みを取っていたけど、院長はずっとそのまま診療をしているときもあったんです。
そうすると周りが休んでください、と言うんです。
そうやって背中を見せているところが尊敬ですね、そういった風にはなっていきたいです。

琢先生

なるほど。
南大東島~猪苗代~つくばと先生のキャリアを辿ると、軽く旅が出来たような気がします。(笑)
子供と一緒に剣道を習ってます

お休みの日に何をしていますか?
剣道ですね。

琢先生

いろいろなスポーツをやっていますね!剣道は大人になってから始めたんですか?
はい、ここ1年くらいです。
子供たち(5年生と3年生)が剣道を熱心にやっていて・・・僕がやれば子供たちも続けるかなと。

琢先生

山本五十六(やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ)みたいですね。
子どもの気持ちが分かるためにやり始めたんですが、すごくいいですね。
礼に始まって礼に終わる。
今年の新年の稽古の時は寒かったですね・・・でも今使っている体育館は冷暖房が入るので、冬でも大丈夫です。
剣道やってよかったなと思えるのは、土日に試合が多いんですよ。
なので、週末家族全員で行動できます。
習い事をしているというよりも、家族全員で動いているからプライベートがみんな一緒なんですよ。
まあ小学生のうちだけかもしれないですけれど、一緒に行動できるのでプライベートは充実しているかなという感じですね。

琢先生
患者さんへメッセージ

これからどんな歯科医院にしていきたいですか?
「来てよかったな、また来たいな」と思われたいのが一番ですね。

琢先生

先生がどんな人か分かったら、その時点で怖くないと思います。(笑)
とにかくアットホームな明るい歯医者、ですね。
気軽に来れるような歯医者、ですね。

琢先生

取材後記
歯科医師としてのキャリアの中でのさまざなな出会い、経験、生き生きと話していて、こちらまで楽しくなってくるようなインタビューでした。
治療に関しては、各治療ページにて丁寧に答えてくださっています。
どんな説明をしてもらえるのか、想像が付くと思います。
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